この廃線跡を歩いてみたかったのです、かなり前から。
明治31年に京都・加茂から奈良までの9.9kmに敷設されたのですが
僅か9年で廃止された、大仏鉄道。
ちょうど木津川市の観光協会のボランティアの方が案内をしてくださって、
コミュニティーバスが乗り放題という案内を見つけて、早速に便乗しようと。
「高田寺(こうでんじ)」から廃線跡コース。
きっと、もっと参加者がいると考えていたのでしょうね
なんと!4人ものボランティアの方々(素敵な年代の男性達)が同行者。
ナイト4人に囲まれて、いざ出発!
この「高田寺」、今でこそ村のお寺になっているけれど
加茂町に3年余りの短命であった都・恭仁京があった時には
恭仁京の国分寺として広い寺域に伽藍の建ち並ぶ大きなお寺だったのだとか。
ご住職に、ご本尊の「薬師如来」さまや「阿弥陀如来」「不動明王」さまの
お話をしていただけました。
「よあそび地蔵」って面白いでしょ?
お地蔵様が夜な夜な寺を抜け出して夜遊びをしていたなんて!ねぇ。
ボランティアのお一人が、そんな逸話を話してくれていたら、
他の方が「ダメダメ、可笑しな話を信じさせては!」って、ダメだし。
その方によると、「村の若い者たちが夜遊びに耽ってしまい
親たちを悩ませていたのを見かねて、このお地蔵さまは夜になると
家の前に立って、出て行こうとする若者どもを家に戻した」と。
私的には・・・・夜遊びするお地蔵様のがクスッ!とできるのだけれど・・・
このお寺から、里山の脇道のような道を歩いて、廃線跡へと。
手前の石垣が、かって大仏鉄道が走っていた鉄橋の橋桁。
その後ろにもう一本の鉄橋が見えるのは、
現在はJR大和路線が走っているのですよ。
ボランティアの方から、面白いお話を伺いました。
京都と奈良府県境の奈良坂と呼ばれる峠越えのルートでは
峠の傾斜が急な箇所では、2等車の乗客は汽車から降りて
皆で車両の後押しをしたのですって。(1等乗客は免除ね)
本当に、こんな赤茶色の蒸気機関車が走っていたなんて・・・・ロマンだ!
竹林やら雑木林の間を開いた道を歩くのは、和まされます。
いきなり林の中に鳥居や神社が祀られていたりも。
水路や農道を通すのに使われた梶ヶ谷隧道。
この上を大仏鉄道が走っていたのですね。
大谷石と赤レンガを組み合わせた、とても雰囲気のあるトンネル。
トンネルの上部のアーチのレンガが美しい!!
トンネルの向こう側には稲田が拡がっています。
このトンネル、一番好きかも。
歩き続けている道の柵、あらら・・・・これ枕木ですよね。
御影石と赤レンガが緻密に組んだ「赤橋」は
シンプルながら威風堂々!!
生活道路としても使われている、この遺構に
撤去計画が持ち上がっているなんて・・・・・
都市再生機構の宅地開発に伴う周辺整備のためということですが
日本鉄道史の大事な「生き証人?」を廃するなんて・・・・
その計画、待った!! と、声を大にして叫びたい気持ち。
次にボランティアの方々が連れて行ってくださったのが
「三十八神社(みとや)」なのですが、
思いの他、静寂感と厳かさも感じる古刹の神社で嬉しくなってしまいました。
道を外れて苔に覆われた石段が山の方に続きます。
ちょっと期待でワクワクしていました。
そう、そして期待は外れずの神社の佇まいに満足でした。
駅で4人のボランティアの小父様たちに、心よりのお礼を伝えて
心地良く歩けた満足感を抱いて、帰途へと。